Sex & Philosophy سکس و فلسفه

モフセン・マフマルバフの『セックスと哲学』についての音楽と詩のメモ。批評ではない。

 

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検閲の関係でイランで放映できない映画はもちろんDVDも販売されない。
だけど売っているのである。アレなDVDが。私が買った時は1枚500円くらいだった。*1
そんな訳で『セックスと哲学』もイランで買ったのだけど、アレなやつなので全編伊語吹き替えだった。それに英語とペルシア語の字幕が付いている。
タジキスタンで撮影されたこの作品は元々はロシア語とタジク語が使われている。
こういった前提でこのメモを書く。

 

ペルシア語と英語でインターネット上を探した限りは、作品中で使われる曲や引用される詩について書かれたページはなかったように思う。
こんなにも印象的に詩を使っているのにそれについて言及する人が少ないのが不思議だった。
私はこの映画を観た時に映像以上に音楽と詩に強く魅かれ興奮した。それは知っている曲や詩が使われていたからというのもあるけど。だから記録に残したいと思った。

 

オープニングとエンディングの曲 - احمد ظاهر   همه یارانم

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私が観た伊語版でもこの曲の部分は吹き替えされていなかったのだけど、強い訛りがあって最初はペルシア語だともダリー語だとも思わず全く何語か想像がつかず、自分が思っているよりもタジク語は聴き取れないのかもしれないなどと思った。
色々探したところ、歌詞を見つけてそこでやっとペルシア語の詩だったと気づいた。
詩は1914年生まれのイランの詩人、メフディー・ハミーディー=シーラーズィーの作である。

همه یارانم به پریشانی
که سیه شام و سحری دارم

دل من این نکته تو میدانی
که به تاریکی قمری دارم

همه گویندم که رهایش کن
گله گر داری بخدایش کن

دل و دین فارغ ز جفایش کن
چه کنم من گوش کری دارم

چه خطا دیدی، چه جفا دیدی؟
چه بغیر از مهر و وفا دیدی؟

همه شب ورد دهنم بودی
که به شیرینی شکری دارم

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劇中では意図的かどうかは分からないが部分的に歌詞が間違っている。
元の歌を歌ったアフマド・ザヒールは「アフガン・エルビス」とも称される、60, 70年代に活躍したアフガニスタンの英雄的歌手らしい。
アフマド・ザヒールの歌う動画をYoutubeで見つけて聴いたらすんなりとペルシア語だと分かった。
訛りは強いが、ルーダキー通りに流れるアコーディオンの音にのせた歌声は心に染み入る。歌い手が盲者であるのは社会的理由があるのだろうか。琵琶法師のような。
古典詩の場合は尚更だが、詩の翻訳は難しい。久しぶりに先生に質問しながら翻訳してみたい。*2

 

 

この映画には四人の女が順に登場する。

 

一人目の女が踊るシーン - "Ayrılıq"

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主人公が一人目の女との出会いを回想するシーンでは、女が曲に合わせて踊る。ゆらゆらと体を動かす後ろで流れる曲がアゼルバイジャンフォークソングである"Ayrılıq"だった。

 

英訳をWikipediaから。

Your memory keeps me up in sleepless nights.
I can't release this thought from my head.
For whatever I do, I can't reach you.
Separation, separation, oh separation!
It's the most painful injury of all, bitter separation.
In your absence, these dark nights stretch to eternity,
Nights which struck wounds into my heart!
I don't know where I'd go in these nights.
Separation, separation, oh separation!
Most painful injury of all, bitter separation.

「別離」を意味するこの曲はタイトルだけ見れば映画にぴったりのように思えるが、元々はアゼルバイジャンSSRから逃げるようにしてイランのアゼルバイジャン地方へと移り住んだ人たちの広い意味での別離の心情を表現した歌らしい。
その後アゼルバイジャン側ではラシード・ベフブードフが、イラン側ではグーグーシュが歌い両国のアゼルバイジャン人に愛されたようである。
私もイランでアゼリー人から勧められたベフブードフのCDを購入し今でも聴いている。ベフブードフが歌うとメランコリックなこの曲は殊更にロマンチックに感じられる。

 

二人目の女との出会いの前 -  فریدون مشیری   پر کن پیاله را 

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「偉大な詩人」と呼ばれる男がタジク人なのかイラン人なのか、はたまた別の国から来たのかは分からない。ただ、男がここで詠む詩はペルシア語詩である。
フェレイドゥーン・モシーリーの「満たすのだ 盃を」という詩を引用している。

 پر کن پياله را
کين جام آتشين
ديري ست ره به حال خرابم نمي برد
اين جامها -که در پي هم مي شود تهي-
درياي آتش است که ريزم به کام خويش،
گرداب مي ربايد و، آبم نمي برد!
            * * *
من، با سمند سرکش و جادويي شراب،
تا بي کران عالم پندار رفته ام
تا دشت پر ستارۀ انديشه هاي گرم
تا مرز ناشناخته مرگ و زندگي
تا کوچه باغ خاطره هاي گريز پا،
تا شهر يادها...
ديگر شراب هم
جز تا کنار بستر خوابم نمي برد،
            * * *
هان اي عقاب عشق!
از اوج قله هاي مه آلود دور دست
پرواز کن به دشت غم انگيز عمر من
آنجا ببر مرا که شرابم نمي برد!
آن بي ستاره ام که عقابم نمي برد!
            * * *
در راه زندگي،
با اينهمه تلاش و تمنا و تشنگي،
با اينکه ناله مي کشم از دل که: آب... آب!
ديگر فريب هم به سرابم نمي برد!

پر کن پياله را ..

 

満たすのだ 盃を
この燃える酒杯は
わたしを破滅へと導かなくなって久しい
・・・・・・・・

 

三人目の女と傘に入るシーン - فروغ فرخزاد   آیه‌های زمینی / در خیابان‌های سرد شب

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傘に入ったカップルが集まっている印象的なシーンでフォルーグ・ファッロフザードの詩が引用されている。
二つの詩の一部をつなぎ合わせたような形でロシア語で朗読される。 どちらの詩もよく知っていたので、というか大学院で研究していた詩人の作品だったので初めて観た時にとても感動した。
ファッロフザード自身が朗読するCDなんかもあるのでペルシア語で聴けば分かる人もたくさんいそうなものなのに、ロシア語+ペルシア語字幕で気づく人はそんなにいないのではないだろうか。
ペルシア語の音も美しい詩だから個人的にはロシア語ではなくペルシア語が良かったなと思う。

 

一つ目の詩は「地上の徴」。

دیگر کسی به عشق نیندیشید
دیگر کسی به فتح نیندیشید
و هیچکس
دیگر به هیچ چیز نیندیشید
 
もう誰も愛について考えない
もう誰も勝利について考えない
そして誰も
もう何についても考えないのだ 

ここでも意図的なのか偶々なのか、2行目が省かれている。

 

二つ目の詩は「夜の冷たい道で」。劇中では「夜の」の部分が「街の」に替えられている。

در خیابان‌های سرد شب
 جز خدا حافظ، خدا حافظ، صدایی نیست
 
夜の冷たい道では
さようなら、さようならの他に声は聴こえない

 ちなみにこの詩の他の箇所もすごく好きなので読んでほしい。読むたびに喉の奥にひりひりするようなものを感じる。

در خیابان‌های سرد شب
جفت‌ها پیوسته با تردید
یکدگر را ترک میگویند
 
夜の冷たい道では
怯えながら抱き合った恋人たちが
互いを罵り合っている

  

 

四人目の女のシーンでは最初に書いたアフマド・ザヒールの曲が流れクライマックスに繋がる。
この曲の歌詞である、ハミーディー=シーラーズィーの詩は訳が取れていなくて大体でしか分からないけどやはり悲哀を詠ったものではあると思う。

 

エンドロールにはSpecial Thanksの部分にモシーリーとファッロフザードの名前が入っていた。(と気づいたのは2回目に観た時だった。)
引用する詩を選んだのはやはりマフマルバフ監督自身なのだろうか。インタビュー動画も見たけどそこには特に触れられていなかった。

 

こうやって見てみると、音楽や詩だけでイラン、タジキスタンアフガニスタンアゼルバイジャンと東へ西へと広がっている。
もちろん日本にも大陸の影響がないわけではないしモチーフが使われることもあるのだろうけど、地続きの国では景色も言葉もメロディーも似ているようで違うと感じることは多いのかななんて思った。
私はほとんどイランのことしか勉強していないので、この違和感が作品を面白いと感じさせる理由になっているのかもしれない。

 

*1:最近になってBBC PersianがYoutubeに監督のインタビュー付きで全編公開しているのを知った。

*2:これは余談だけど、この詩について調べているときに見つけたイランのネット記事のライターが大学の恩師であるイラン人の先生だった。ネット記事というにはあまりにもしっかりとした論考のようで読みきれていない。時間を見つけて読みたい。