A, Tehran and his poet uncle

 その年は一人でイランに滞在していた。カスピ海沿岸の町に住むホストマザーと友人を訪ねた後は数年ぶりに国内線を利用してテヘランへ移動してきた。機上から見る夜のテヘランは緑の電飾で溢れ、文字通り宝石のように輝いていた。タクシーに乗り込み空港から出るとすぐにテヘランで泊まる予定の宿のオーナーからSMSと電話を受信した。この年もまた滞在がアーシューラーと被ってしまった。街中は追悼儀礼とそこで振舞われる食事目当ての人だかりでとにかく混雑していた。渋滞で到着が遅れることをオーナーに詫び、タクシーの後部座席で身を沈めると賑やかな外の景色を眺めていた。

 その宿はアパートメントのような造りだがシェアハウスに似ており、部屋にはベッドとシャワー、トイレがあり、キッチンとリビングを共有するような長期滞在者向けの宿だった。長年暮らしたアメリカから帰国したというイラン人夫妻がオーナーで、その建物のほとんどを自分たちで作ったのだと話していた。滞在中、オーナー夫妻と車で出かける際、駐車場でアフガン人の男の子たちが話しかけてきた。夫妻が言う「自分たちで作った」は彼らを労働力にしたものだった。留学していた頃、よく友人と「作ってるのか壊してるのかどっちなの!」と笑いながら言い合うことがあった。マンションの建設ラッシュはいつまでも続き、作りかけなのか廃墟なのか分からない建造物がそこら中にあった。特にテヘランの北部では至る所で建設工事がされていた。

 部分的に作っているのか壊しているのか分からない箇所がある不思議な宿には、不思議な入居者もいた。一階部分がエントランスになっており、上階の共有リビングへと続くエレベーターホールがあるのだが、エントランスの脇に小部屋に繋がる扉があった。最初は警備員の詰所か何かかと思っていたが、どうやらアジア人が出入りをしている。言葉から察するに中国人であった。そしてたまにコック服のようなものを着たおそらくイラン人と思われる青年たちが混じっていることがあった。全くもって何の集団なのか分からないが、自分が泊まっているのと同じ建物に出入りしている彼らを不思議に思って見ていた。

 滞在の最終日、空港へ向かう前に近くのショッピングモールへ行き、あらかじめ下見してあった大きな絨毯を一枚買った。小さなラグは買ったことがあったが、一辺二メートル近くあるようなものは買うのが初めてで、支払い後は気分がかなり高揚するのと同時に帰国したらまた働かなければな、などと考えていた。絨毯屋もその道のプロなので機内に預けられるようかなり小さく梱包してくれたが、それでも女の手で持つのはやや困難に思われるほどに絨毯は重たかった。タクシーを使って宿の前まで持ち帰った後は、引きずるようにしてエントランスへ入った。すると、例の謎の集団が入居する小部屋からイラン人の青年が一人現れた。運ぶのを手伝うと申し出てくれ、重たい絨毯の塊はあっという間に上階のリビングへと辿り着いた。彼は無駄な世間話をすることなく一階へと戻っていった。とても気のいい青年だった。

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 上階に運んだのもつかの間、紅茶を飲んでオーナー夫妻とわずかな会話をした後は空港へ向かう時間となった。タクシーを呼び、再び絨毯の塊をスーツケースとともに一階へと運び下ろした。タクシーが到着するまでの間エントランスのソファに腰掛けていると、先ほどの青年がまた現れたのでここで働いているのかと訊ねてみた。彼はイラン南部の町の出身で、今は例の中国人たちの企業で勤めているのだと話してくれた。詳しくは聞かなかったがコック服姿であるからレストランか何かの事務所なのだろうか。私の方もイランで何をしているか訊ねられたので、元々大学でペルシア語を勉強していて特に現代詩を研究していたのだと答えた。こちらの答えを聞くや否や、彼の目は輝き、自分も詩を嗜むのだと話し出した。そして携帯を開いて詩の朗読を再生して聴かせてくれた。記憶にある声に思われたので「この声はシャームルー?」と訊くと、「いや、僕だよ。よく似ているって言われるんだけど」と彼は答えた。話し声とは全く異なる低音のその声は、詩人アフマド・シャームルーに本当にそっくりだった。そして、話の中で彼の伯父さんが詩人だということも分かった。伯父さんが作った詩を彼が朗読して音声ファイルにしているとのことだった。共にペルシア語詩を愛していると分かり彼は出会いを喜びつつもこの後すぐの別れをとても嘆いていた。何度「残念だなぁ!」と言っただろうか。おもむろに例の小部屋へと戻り一冊の本を持ってきた。伯父さんの詩集であった。深紅の血が飛び散ったように見える中に不死鳥が二羽描かれたデザインの表紙を捲って、彼は誇らしげに次の書き出しで始まる一編の詩を読んで聴かせてくれた。

من پرایدی دیدم تروریست بود
روز روشن قتل عام می کرد
و هیچ نمی ترسید
・・・・・
わたしは一台のプライドを見た テロリストが乗っていた
彼は白昼堂々大虐殺を行った
そして何も恐れるものはなかった

 ちょうどこの二日前にイラン国内でテロが起こっていた。彼は偶々この詩を選んだのだろうか、それとも二日前の出来事を意図したのだろうか。彼は中の頁に私の名前を書き、そして記念にあげるよと言った。私はその詩集を受け取った。この国の人たちは記念を大事にする。記念に、という言葉と共にサインや写真撮影を求められる。何かを贈ってくれる。簡単に愛を感じてしまいそうになる。感情表現豊かな人たち。その後、慌てるように携帯で連絡先を交換しようと言われた。連絡手段は日本ではあまり使われていない通信アプリだった。その時ちょうどタクシーが到着した。絨毯はまたも一息で運び入れられた。そして彼にお礼を伝えて別れた。出会いは一瞬の出来事だった。

 帰国後数日して彼からメッセージが届いた。誰かと出会った後、携帯やPCの中でやり取りされる無機質で表面的なメッセージに嫌気がさすことがよくある。文字は冷たく画面に映るのに、溢れる感情や呪詛が透けて見えることもある。あのままの出会いで終わっていたらどんなに良かっただろうかと思う。それは旅に旅情とロマンチックさを求めるこちらの勝手な感情だ。あの国の人たちに比べて私のような典型的なアジア人は若く見られがちで、彼もおそらく私のことを同じ歳くらいだと思っているようだった。そして、彼が私に何を期待しているかもなんとなく分かっていた。だけど同時にどんな言葉を選んでも無粋になってしまうことも分かっていた。

 彼からの言葉を躱したりしながら二年の月日が経った。久しぶりに使い慣れないアプリを開いて彼との会話履歴を見ると、彼のアカウントは「Deleted Account」となっていた。突然に連絡が取れなくなる人も多い国だと思い出した。いきなり梯子を外された心地になることも多い。私が望んだ、あのまま別れていたらロマンチックであっただろうという期待はこんな形で成就された。Deleted Accountとなった彼の名前が今では思い出せない。多分、Aで始まる名前だった。

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