月光茶房 BIBLIOTHECA MTATSMINDA

 「東京でいちばん好きな店」が今年2月末で営業を終了した。

 

 入籍して新婚旅行先に選んだのはグルジアだった。イランやアルメニアに近いからという理由で最初は興味を持ったが、だんだんとその宗教や文化、ファッション、アートシーンに惹かれるようになり夫へプレゼンを繰り返し晴れて二人で行けることになった。

 帰国して数ヶ月後、表参道の裏通りを一人で歩いている時に、ふと「Mtatsminda」の文字を見つけた。ムタツミンダ山はグルジアトビリシの中心にある山で、滞在時に投宿した部屋の窓からも見ることが出来た。表参道で見つけた店かどうかも分からないスペースは直感的に旅に関係するものだろうかと思ったが、よく見ると喫茶店が併設されていた。喫茶店の名前は月光茶房だった。中庭に面したガラス張りの店内からはレコードとCD、音響機器が見えた。

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 その後、夫と共にその月光茶房を訪れた。カウンターしかない店内は薄暗く背筋が伸びるような雰囲気で、おそらくモダンジャズと思われる曲が流れていた。マスターは口数の少なそうなストイックな雰囲気を持つ人だった。会計時に「ムタツミンダとはどういった関係があるのですか」と訊ねると、少し不思議そうに、ECMというレーベルと繋がりがあることを教えてくれた。と同時にグルジア関係のことを質問されるのは二回目ですよと言われた。

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 帰宅してから調べたところ、確かにECMから出たJan Garbarekの「RITES」というCDに世界中に散らばった音楽へのリファレンスが含まれており、Jansug Kakhidzeの「The moon over Mtatsminda」もその一つであることが分かった。Jansug Kakhidzeは旧ソ連グルジア出身の指揮者で、この曲を作曲し歌も歌っている。そして、歌われている詩はGalaktion Tabidzeという詩人のものらしかった。Biblioteca MtatsmindaはECMのCDやレコードを集めたライブラリースペースなのだった。少しずつ色んな情報が繋がっていくことに興奮を覚えるのと同時に、そういった小さなモチーフを屋号に選んでいることがとても素敵だと思った。

 それから昨年末までに何度か通ったが、わたしは毎回キームンティーを頼んだ。丁寧に淹れられた紅茶はいつもおいしく、仕事帰りに夫と二人で話をしたり一人で読書をしたり、近くに座ったお客さんと仲良くなって音楽のイベントに呼んでもらったこともあった。マスターのTwitterは、自分が知らなかったジャンルの音楽を知り聴くきっかけにもなった。小さなお店だから、どうかどこかのSNSで話題になって列が出来たりすることがないといいなと勝手ながら願っていた。だから、TwitterInstagramでも店名を出したことはなかったし、同じ趣味の友人知人を連れていくだけにしたかった。結局連れていくことが出来ないまま営業を終了されたけれど。

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 あの裏通りももう二度と通ることもないかもしれない。上京して良かったと思える理由の一つがこのお店だった。グルジアのことを思い出すたびに月光茶房のことも思い出すだろう。世界のどこで月を見るときにも。間違いなく東京という砂漠におけるオアシスであり、静かな月が見えるような場所だった。おいしい紅茶と未知の音楽との出会いがなくなりさみしくなる。今までありがとう。

 

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トビリシで滞在した宿の窓から見えたムタツミンダ山のTV塔。残念ながらこの時は月の位置が違ったけれど。

 

www.youtube.com

 

www.ecmrecords.com