Tir 1403

 イラン暦1403年ティール月15日

 

これは自宅マンション沿いの林の一部。この時期の葉の緑の輝かしさに毎年心が躍ります。住まいや地域にはいろいろと納得のいかない部分もあるのですが、部屋の磨りガラス越しにこの樹々の緑色がぼんやりと見えると、ここに住んでいてよかったなと思える存在です。

 

 

石川での祝祭

ネムノキの樹自体も花が咲いている様子も、ずいぶん久しく意識して見ていなかったように思う。なんなく地元を象徴する樹の一種だと思っているので、東京で見られるのだろうかと考えてみたこともなかった。子どものころ、放課後に外に遊びに行くとよく見かけていた記憶がある。あらためてまじまじと観察すると、鳥の鶏冠のようなふわふわとした花が、樹のうえに乗っているように見える姿がとても印象に残る。母もこの樹が好きで、見つけるたびに二人で「ネムノキや!」と言い合っていた。

梅雨の祝祭と呼んでいる夫の誕生日に、今後はネムノキの花のイメージが添えられることになる。そんな今年は夫からの(リクエストというより)提案で、石川に帰って過ごすことになった。

好きなお鮨屋さんでお祝いをする。この日は海老の種類が豊富で、前回食べておいしかった猿エビをまた選ぶ。頭と殻をお味噌汁にしてもらえるのも格別においしい。七月から底引網漁が禁漁になり(資源保護のためらしい)、水揚げ量が減るとのこと。エビが好きなわたしたちには幸運な日だった。エビだけでなく、白身魚や貝の種類が豊富なのもうれしい。どれも地元で獲れた魚を用意しているというのがすごい。

甘エビのすり身をつかったたまごも他にはない味でおいしい


街中を散策したりお茶をしたりとのんびりと過ごし、夜は両親も誘ってせせらぎ通りのお店へ。水茄子と生ハムの合わせとパスタがとくべつおいしかった。確かスパゲットーニだったのではないか。太い種類のパスタが好きなのかもしれない。

 

それぞれが選んだフルーツタルトを誕生日ケーキとして家で食べる。わたしの実家は、誰の誕生日でも毎年きちんとケーキを買ってロウソクを灯して歌を歌って祝う。夫の実家は良い意味でドライな関係性なので、こういうふうに何人にも囲まれて祝われるのは久しぶりだったのではないだろうか。それにしても、わたしの父も母も、何日も前から「◯◯くんの誕生日ケーキどうする?あそこのケーキ屋?予約する?買いに行く?」と気にかけてくれて、あいかわらず愛おしいひとたちだと思う。

 

滞在中の天気のよいある朝、母の強い勧めで兼六園の早朝開放へ。夜明け前に家族で静かに家を出る様子に、夜逃げのようだなと思う。到着するまでに段々と夜が明けてゆき、白い月と日の出を同時に見る。ベンチに腰掛けこの景色を眺めながら、家から持参した温かい紅茶とパンを食べて心が満たされる。

菖蒲のTシャツを着たが花の季節は過ぎていた

 

帰りの新幹線に乗る前に金澤神社を参ると茅の輪があった。石川にはないものだと勝手に思っていたので驚いた。夫と厄除けをしてお守りを買う。苔生した道真公の使いの牛を撫で、池で睡蓮を見る。

 

 

二日続けて神保町

気になるうつわ作家の展示が神保町であり、友人を誘って訪ねてきた。思えば、仲良しの好きな人たちと外食するときは、自分のお気に入りのお店へ連れて行くことが多い。もちろん相手の好みに合わなそうであれば選ばないけれど、このお店にあの人もあの子も連れてきたな、と思うことが最近増えてきた。お互いが気になっているお店へ行くのも同じように好き。

あまりうつわに明るくはないのだけど、今回の展示では土や釉薬、焼き方など、同じ人が作っているのに、形以外にそもそもの種類が異なるうつわが多くて見ていて楽しかった。特に小ぶりの白い高杯がすてきで、自分で食卓で使うイメージは湧かなかったけど、お団子を乗せてお月見をしたいとか、花を乗せて飾ってもいいのではなど妄想する。

自分のうつわの好みとしては、灰色と青色が混ざったような色、模様がないもの、李朝陶磁に似た雰囲気があるうつわが好きだなとあらためて思う。お気に入りのモロッコのうつわや九谷焼はまたそれとは別枠ですが。

こちらの行きたかったお菓子屋と、友人が案内してくれたお菓子屋、洋の東西は異なれど、どちらも控えめでささやかな美しさがあるお店だった。おすすめの最中も次回食べてみたい。

東京のオアシスことタカノにもお連れできてよかった。新しい茶葉が欲しかったので、ダージリンのファーストフラッシュも、値段に怯まず(いや、怯みました)購入して帰る。

散歩途中に見かけたクチナシの花に交互に鼻を寄せる。蕾が案外しっかりとした質感なのが面白い。

 

 

実は翌日も夫と神保町へ来たのだった。うつわに関しては微妙に異なる好みを持っていて、二人で使うものは最終的には二人で選びたいなと思い。二人とも良いと思えたうつわは数が足りずで購入には至らなかった。うつわ探しの旅は続く。

お昼の食事も前日と同じお店で。神保町は日曜にお休みの飲食店が多くて選択肢が少なかったのと、それ以上にわたしがこの日も食べたかったのと。この二種が好きです、の二皿と炭水化物三銃士の写真。

駿河台のあたりの雰囲気が好きで、この日もいろいろな植物を眺めながら散歩をした。前日、友人と見て何という花だろうねと話していた、ハナミズキに似た樹はどうやらヤマボウシだった。ビルの角にわさわさと生い茂り花をつけたヤマボウシの側に立つと、傘となって守られているような、樹自体に包まれてしまったような心地になり気持ちがよかった。細い路地の隙間から見えた、フェンス一面に張った緑と紫の花に誘われるように近寄る。この日、夫が同じ紫色の靴下を履いていた。

 

 

その他のお出かけ/食べたもの/作ったもの

・夢の海苔弁

いちのやの海苔弁を買って靖国神社で食べるというのが、去年から夫と約束していたことのひとつで、天気や予定に左右されつつ念願叶った日。皇居周りのお濠が蓮の葉で満たされている様子を見つつ、お店を目指した。木陰のテーブルを陣取ってお弁当を食べたあとは、花菖蒲の展示や池で泳ぐ蛇(蛇が泳げる生き物だと知らなかった)などを見てまわる。日光に反射した松の葉が、針葉とは思えないまろやかみを放っており、かわいくて思わず写真を撮る。が、大体こういった事柄に感動するのはわたしぐらいだと分かっている。

 

・青山 DOWN THE STAIRS ファラーフェルのランチ

美容室の前後で一人でランチするときはこちらかbuikに行くのが定番。家を出るときにもしかしてと思った勘がなぜか当たり、ファラーフェルに会えた。意気揚々と注文したけど、中に結構な量のアボカドが鎮座していて辛かった…。前のスタイルの方が好きでした、と率直にひっそりとここで記します。苦手な食材は食感が共通していることが多い。ねば、ねと、ぐにゃ、とした食感がだめです。だけど、お店の方に勧められたデザートで口直しができたので万事オーケーと相成りました。杏のタルト、クランブルもいるのがうれしい。

 

・サンドクッキー

はじめて食べるきのね堂のマスカルポーネクリームのサンドは、ほどよい甘さが、気温の高い夕方帰り道に食べるとありがたい。好きなスーパーマーケットこと福島屋で見つけたオリジナルのレーズンサンドは、きのね堂よろしくクッキーが硬くて好み。

 

・スコーン

好きなのでいつでも家で食べられるようになりたいと思い、スコーン道に入る。昔祖母がはまって焼いていたスコーンはあまり好きじゃなかった記憶が蘇る。あの頃は今よりも好き嫌いと潔癖がひどくて、母と姉以外が作る手料理がほとんど受け付けられなかった。

自分で焼いたのはふつうにおいしかったけど、もうすこし大きくて厚みがある方が好きなので精進する。ヨーグルトを使うレシピも試したい。成城石井で買える中沢のクロテッドクリームが神のような存在。

 

・鈴懸の若あゆ

好物なのに今年はこれしか食べられていない。ある日夫が手土産に買ってきてくれた。好きなのを覚えていてくれるだけでもうれしい。

 

・金曜夜のデート

出社週だった金曜夜の仕事終わりに、夫と待ち合わせをして買い物へ出かけた日。ふと目に入ったガレット屋で夕飯をとる。平日夜にテラス席で食事をするなんて、大人になったものだと思う。じゅうぶんに大人になって久しいのだが、夜遅くに外出するのが得意ではない二人なので。一緒に注文したそら豆の冷たいスープもおいしかった。

 

・異国のクッキー

神保町から持ち帰った、メレンゲのクッキーとオリーブオイルのクッキー。オリーブオイルの方が、素朴でもさっとした好きな食感だった。要冷蔵のお菓子も食べてみたい。

 

・お弁当記録

とうもろこしごはんで彩りを確保した日、夫がケチャップで文字を書いてくれた日(読めますか?)。

 

 

読んだもの

・舘野正樹『樹木の教科書』

なんとなく図鑑のような、いろいろな種類の樹木について簡単に紹介しているのかと思って買ったけれど、実際は樹木をいくつかの類型に分けて、それぞれがどういった戦略をもって生存しているかを教えてくれる教科書だった。樹木としての形態や生息地など、今まであまり想像していなかった特徴を知り、普段の散歩の中での樹々の見方が変わったように思う。とくに好きで印象に残っているのは、ホストにとりつくという考え方をする、つる性の植物で、ある樹をホストとして物理的に支えてもらい、そこにとりつき生きるというもの。わたしたちの身近にあるものでは藤がそうで、藤棚にされていない、山に自生する藤を見ては他の樹木を覆って猛々しい存在だと思っていたけど、そのような性質であったのかと納得した。さらに、ホストにとりつく植物でも、ホストと共存するタイプと、ホストを枯らしては次のホストへと乗り移っていくタイプがあるらしい。なんて飄々とした生き方なのだろう。これからの散歩や散策に楽しみを加えてくれた。

 

 

その他の記録

・カウンセリングで

カウンセリングに通い始めて何年になるだろうか、ある時期から担当の心理士さんが代わり、それとともにカウンセリングの取り組み方も変化して、今は認知行動療法と呼ばれるものをセオリー通りに進めている。ただ、自分自身の困りごとに限って言えば、あまり効果を得られないのではと諦めに似た気持ちをずっと抱いており、先月それをおそるおそる伝えてみた。とてもプライベートなことなので細かくは書かないけれど、心理士さんから言葉で説明してもらうと、ちゃんと納得できる理由があり、思い切って話してよかったと心を撫で下ろした。最近、同じ症状で悩んでいる方のSNSなどでの投稿を見ると、同志だと励まされるよりもむしろ引っ張られるように気持ちが落ち込むことが多い。だからどうという話ではないのだけど、あまり検索しないようにしなければ、という宣言。

 

・人間(?)関係で悩むことが何度かあり書きなぐっていたメモを共有します

心配するようなことは何もないよと自分で自分に言い聞かせることはできるのに、心がざわつくのを止めることができない、だから人間関係って苦手と自分で勝手に幕を下ろそうとする。 勝手な不安と想像で、何も起きていないところを掻き回して自滅していた過去を思い出し、今はそっと距離を置くことができるだけ、進歩したのではないか。こんな気持ちになるのなら一人でいた方が楽だと何度も思ってきたではないかと自分に言い聞かせる。一人と言いつつ特定の恋人(今は夫)に頼らないと生きられない自覚があり、だけどそれはそれでいい。人生を立て直して前に進めるのに、適度な寄りかかりを必要とする人間も存在する。適度と言うのはお互いが自立していられる程度の寄り添いのこと。

 

 

 

 

 

夏の旅行の行き先がまだ決まっていない、どうする円安、わたしは海外にばかり目を向けているけれど。今月待ちに待った納車が予定されているので、車が来たらあちこちドライブへ行き、お気に入りの渓谷などを見つけたいと思っています。この猛暑じゃ水辺でひんやりとは行かないかもしれないけど、目や心だけでも安らぐことができたらいい。みなさまもどうか無理しないで。