F, Khoy and Rumi

 転がり回るように旅をしていた。出会う人たちに時に助けられ時に苦しめられながら。そんな中、見知らぬ異邦人を拾ってくれる人もいた。Fは私を拾ってくれた一人だった。

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 ひとり旅に出る数ヶ月前のこと、友人から借りた『アララトの聖母』という映画を見た。その映画に出てくるアーシル・ゴーキーの絵に魅了されてしまった。そしてそこからイラン国内にあるアルメニア修道院にも興味を持つようになった。ホイの街へやって来たのは、そこを起点にさらに北部にあるアルメニア修道院を訪ねるためだった。バスで到着した後、修道院がある町へ向かうバスに乗るまでの待ち時間に、ホイにあるシャムス・タブリーズィー廟も訪ねる計画だった。
 ホイのバスターミナルに着いたのは夕方だった。冬が始まったばかりの頃で、日はすでに落ちてしまい外は真っ暗だった。次のバスのチケットを買うため適当なバス会社のブースを訪ね、行き先と名前を告げた。そこにいたのがFだった。彼は豊かな白髪に優しい顔をした中年男性で、顔と同じように優しい声で言った。「あっちはもう雪が深いから、行くのはやめておいたほうがいい。」私は諦められるわけがないと食い下がったが、彼のほうは飄々としながら話を逸らし「今晩はどうするの?ゲストハウス?やめておきなさい、うちに泊めてあげるから。」と一方的に決めてしまった。大体、日本ではこうやってお店側やサービスを提供する側の人間が客に助言したり提案したり、あるいは友人になろうなんてことはないかもしれないが、この国では当たり前にある光景なのだ。それまでも知らない男にはついていかないと決めていたのだが、身元が明らかにはっきりしていること、事前に電話で奥さんと話をさせてくれたこと、あとは直感でこの人は大丈夫だと思い、泊めてもらうことにした。彼の同僚が運転する車で彼の家に向かったのだが、同僚との話ぶりを見ていても明らかに不審な男ではなさそうだった。それどころか、部下と思われるその同僚がFのことを慕っているのがよく伝わってきた。家に着くと穏やかだが芯のありそうな奥さんが待っていた。車の中でシャムス廟の話をしていたので、荷物を置いてすぐに向かうことになった。
 シャムス廟にはシャムスの銅像などがあるほか、モウラヴィーがシャムス詩集の中で詠んだ代表的な詩が書かれた幟のようなものが掲げられていた。Fはそれを読み上げてくれた。そしてとても嬉しそうにその意味を解説してくれた。

یار مرا غار مرا عشق جگرخوار مرا            یار تویی غار تویی خواجه نگهدار مرا
نوح تویی روح تویی فاتح و مفتوح تویی           سینه مشروح تویی بر در اسرار مرا
نور تویی سور تویی دولت منصور تویی           مرغ که طور تویی خسته به منقار مرا
قطره تویی بحر تویی لطف تویی قهر تویی           قند تویی زهر تویی بیش میازار مرا
حجره خورشید تویی خانه ناهید تویی           روضهٔ امید تویی راه ده ای یار مرا
وز تویی روزه تویی حاصل دریوزه تویی           آب تویی کوزه تویی آب ده این بار مرا
دانه تویی دام تویی باده تویی جام تویی           پخته تویی خام تویی خام بمگذار مرا
این تن اگر کم تندی راه دلم کم زندی           راه شدی تا نبدی این همه گفتار مرا
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滴はあなたで海はあなた、親愛はあなたで怒りはあなた
甘さはあなたで毒はあなた、わたしをこれ以上苦しめないで
太陽の部屋はあなたで金星の家はあなた
希望の庭はあなた、愛しい人よ わたしを中へ入れて
・・・・・・・・・・

 家に帰り着くと寝床が整えられていて、もう遅いから寝なさいと言われた。その夜、拾われるようにしてやって来たこの家で、ずっと前から居候しているかのごとく私は熟睡した。
 翌朝起きるとFが朝食を食べており、仕事へ向かうまでの間少し雑談を交わした。好きなイランの俳優はいるかと訊かれたので、パールサー・ピールーズファルが好きだと答えると、「こんな口の男がいいのか?」とアヒル口をやって見せ笑った。つられて私も笑ってしまった。直感通り、とても気の良い男だったのだ。Fは仕事へ行き、その日は彼の奥さんが街へ連れ出してくれた。おそらく外国人と接するのは初めてなのだろうが、彼女は私の腕をしっかりと彼女の腕に組ませながら道を歩いた。その力からは私をありとあらゆるものから守ろうとする気持ちが伝わってきた。私は赤ん坊になったつもりで彼女に身を託したくなった。

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 結局その家に三日もお世話になり当初の予定だったアルメニア修道院へは行かなかった。親戚を訪ねたりもしたのだが、その席で食べた胡桃のハルヴァはそれまで食べた中でもとびきりおいしかった。親戚一同も口を揃えて春になって雪が溶けた頃にまた来なさい、そしたらみんなで一緒に行きましょう、また泊めてあげるからと言ってくれた。偶然の出会いは不思議なもので、未来の予定まで変えてしまう。その日、彼らと一緒に撮った集合写真や彼らが例の修道院を訪ねた時の写真が入ったCD-Rをもらった。それと共に胡桃のハルヴァもたくさん託してくれた。テヘランに帰ってから大事に食べたそれは一生の思い出の味となった。
 十年経ったがいまだホイを再訪することはできていない。次に行くときは修道院ではなく、F一家との再会を目的に行くのだろうと思う。だけど、幾度かの出来事が重なって連絡先も失ってしまった。バスターミナルへ行けばまた会えるだろうか。Fの笑顔はまだ忘れずにいるから。

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