車がゆっくりと進む。カーブした道に沿って林檎畑が目に入る。木には葉も実も付いていないが、全体がどことなく赤のような紫のような色に染まって見える。この色は実の色ゆえなのだろうか、そもそも日本で林檎の木を見たことがあっただろうかと考えているうちに視界が赤紫で埋められる。
初めて会った時のことよりも次の日に会った時のことを鮮明に覚えている。サングラスをかけた彼が車で迎えに来て、助手席に乗り込むとカーステレオからJ-POPが流れてきた。正直に言うと好きなタイプの音楽ではなかったが突然のことに笑ってしまった。日本へ移住した弟から送られて来たCDだという。気の抜けた音楽にしばらく耳を傾けていたが、どうしても好きじゃない物に対しては態度に出てしまう。彼も察したらしくイランの伝統音楽のCDに替えてくれた。それ以降二人だけでいる時は、彼は私の前で明るく振舞ったり愛想笑いをすることをしなくなった。その態度がとても居心地をよくしていた。
そこは友人一家が住む町で、滞在中は友人の家に泊めてもらっていた。この日、彼と二人で出掛けるのだと言うと友人にひどく心配された。人口は日本よりも少ないのに、出会う人たちの価値観の幅があまりに広すぎると思うことがある。友人一家は一般的なムスリムで、超保守的というほどではないが、男女が近寄ることを良く思っていないようだった。一方Mは長髪長身にニット帽をかぶり、派手な色の布鞄を肩に掛けていた。ヒッピーっぽくもあるのだが、彼を紹介してくれたテヘランの知人は冗談でシェイフと呼んでいた。そんな見た目だから友人は尚更心配したのだろうと思う。
最初に会った日、連れていってくれたのはイランで一番大きな塩湖だった。湖といっても当時は干上がってしまっており、塩分を含む湿った土と観光客が捨てていったのだろうゴミや木くずが散乱しているだけだった。彼はその中から何かの植物の根を拾った。男の人の両手にも収まらないような大きな根は動物の頭蓋骨のようにも見えた。それを後ろ手で持ち私の前を歩いている彼の後ろ姿を私は写真に収めた。私たちの他に人の姿はなく、風の音だけが聞こえていた。空には灰色の雲が薄く広がっていた。彼の家へ向かう前に、どこにでもありそうな聖者廟に寄った。建物の周りをぐるっと囲むように墓地が広がっていた。墓石を踏まないように隙間にそっと足を置きながら歩き、墓石に描かれた個人の肖像や添えられた詩を見ていた。緑色の千切れた数珠が落ちていた。日はどんどん傾いていく。
彼の家へ入ると、彼の父親が待っていた。彼と同じように長身で、高齢だがとても快活な人だった。豊かな白髪に背筋はシャンと伸びており、預言者と同じ名前をしている彼を私はアーガーモハンマドと呼ぶことにした。アーガーモハンマドの書斎で写真を見せてもらっていると、子供の話になった。彼にはMを含めて子供が四人いるらしい。「娘はテヘランに、日本にも息子が、あとはこいつだろ、もう一人いたけどそれは消えちまったよ」とあっけらかんと話す様子に驚きはしたものの、なんと反応すればよいか分からずただ黙っていた。まるで財布を無くしたかのような言い方だった。人一人が失踪するなどということがこの国では普通に起こるのだろうか。それとももう過去のこととして気持ちを閉ざしてしまったのだろうか。三人の息子たちの名前はどれもMで始まるものだった。私が知り合ったMは愛を意味するような名前だった。
Mが作ってくれた料理を囲んで食卓についた。おもむろにアーガーモハンマドが小さなショットグラスと何のラベルも貼っていない透明の壜を持ってきた。勢いよく注がれた液体は、口を近づけただけでそれが何かすぐに分かった。小声でMが「無理しなくていいよ」と言ってくれ、アーガーモハンマドの目を盗んで私のグラスを奪い一気に飲み干した。その一瞬で私はどうしようもない気持ちになった。その気持ちの理由は救いだったのだろうか。ガス台で紅茶が蒸される蒸気の音が耳に届いてきた。
彼の部屋には石や乾燥した果物がオブジェのように置かれていた。いつだって彼の身の回りにあるものは何か意味を持ってそこに存在しているように思える。どうしたら周りの人間にそう思われるようになるのだろうか。ペルシャ書道をするらしく、薄い緑色のインクで練習した紙が家のあちこちで目に入った。私のためにといってハーフェズの詩を書いてくれた。不思議なマークをしたサインが添えられていた。
در خرابات مغان نور خدا میبینم
این عجب بین که چه نوری ز کجا میبینم
マギたちの酒場で神の光を見た
ああ、この光はなにもので どこから射す光を見たのだろうか
乗り込んだ車のカーステレオからJ-POPが流れて来た日、私たちは山の合間を縫ってドライブし洞窟を見に行った。街を出る前に薄いナンで茹でた芋を包んだ食べ物を買った。所謂ファストフードで、味付けは塩とパセリだけの地味なものだが、豪奢な食事に興味のない私たちらしいと思った。車を降りて洞窟に近づくと、野良犬が一匹座っていた。警戒もせず懐くこともない涼しい顔をしてそこにいた。「ネアンデルタール人がここで暮らしていたかもしれないよね」と話しながら洞窟の中を歩いていると、Mが鞄から笛を取り出し何かの曲を吹いてくれた。当時、日本にいる時からひどい耳鳴りに悩まされていたのだが、洞窟内に広がる笛の音色を聴いている時は耳鳴りを感じなかった。
洞窟を出て丘を下りると、手入れされていない遺跡のようなものがあちこちにあった。背の高い石が立てられており、それが墓であることはなんとなく分かった。私は歴史に疎く、Mの話の半分も理解できなかったが、古代ここで起こった戦いで亡くなった戦士や王位にあった人間たちの墓ではないかということだった。生きている人間は今二人しかいないのに、ここに眠る死者はその何倍もいるという事実が少し可笑しかった。
街へと戻る帰路、ずっとこの国にいることは出来ないしこの町を訪ねることもあるか分からない、もしかするとこの人ともこのまま会えないかもしれないとぼんやり考えていた。その時、小さな衝突事故が起きた。彼が「誰のせいでこうなったんだ」と小さく呟いたペルシア語がずっと耳に残っている。事故の処理をするから先に友人の家へ戻ってと諭す彼に、私は嫌だと言った。この町を出てもうすぐ帰国する。そうしたらもう二度と会えないかもしれない。それでも彼は私の手を引いて歩き、半ば無理やりタクシーに乗せた。この町での思い出があまりに多すぎて、たまに手放してしまいたくなる時がある。聖者廟の周りに眠る死者は、放置された墓の下に眠る古の人たちは、私たちをどう思って見ていたのだろうか。私はMのことを兄さんと呼んでいた。