S, Esfahan and Pejman Bakhtiari

 薄明かりの中でひらひらと手を振っている。眼鏡を外すとこんな顔なのかと思った。栗毛色の髪と髭、色白の肌。周りには他にも人がいたのに、彼の顔だけがこの世のものじゃないように美しく目に映った。

 

 テヘランからエスファハーンに遊びにきたのは、友人の紹介で知り合ったHの家へ誘われたからだった。他の友人も一緒に訪ねたHの家は街の観光地にも近い住宅街にあり、どの家も高い塀に囲まれていた。門を潜ると平屋の家に家族四人が出迎えてくれた。Hとその弟、妹はみんな父親譲りの栗毛色の豊かな髪をしていた。家の中ではどの部屋にも床いっぱいに絨毯が敷かれ、テーブルや椅子はほとんどなく、食事を初め日々の暮らしを床の上で送っているだろうことはすぐに分かった。壁一面に細密画が施されたミーナーカーリーが飾られており、その間に花や、家族や親族の写真が所狭しと飾られていた。伝統的な暮らしを引き継ぐ温かな家族の様子が伝わってきた。一家は普段から居間に布団を敷いて寝ていたようで、わたしたちもそこに混ざって寝させてもらった。少し離れた部屋の隅の布団の上にSが座っていた。SはHの弟だった。

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 滞在中の金曜日にわたしたちは一家と金曜モスクへ出かけた。わたしたちにとっては観光、一家にとっては礼拝のためだった。この街で観光地となっている大きなモスクに比べるとこちらは市民が普段通うような雰囲気で、広さの割に人は少なく閑散としていた。各々が手を洗い礼拝を始める中、Sだけは礼拝に向かわなかった。わたしが「どうしたの?礼拝はしないの?」と訊くと、まだ自分の中に迷いがあるんだと彼は答えた。その答えを聞いてわたしは自分の軽率さを恨んだ。気軽に訊いていいような質問ではなかった。だけどその一瞬、後悔の念とともに彼に対してどこか親密な気持ちを抱いた。空には鳩の群れがモスクのドームの上を飛んでいた。

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 数日をこの街で過ごした後、テヘランに戻ったがSとは携帯で連絡を取り続けていた。くりかえしやりとりしたメッセージの中にはハーフェズやサアディーの詩が含まれていた。さらに古典詩だけでなくニーマーなどの現代詩も読むと話していた。ある日、わたしがニーマー詩集を買った後に彼に電話をかけたことがあった。するといつも通り無愛想な声ながら「やるじゃん」と一言褒めてくれた。文学が、詩が好きだという共通項が人を結びつけるのは世界で最も美しいことの一つだと思う。

 彼が送ってくれた中で一番記憶に残っている詩はぺジュマーン・バフティアーリーの一編で、直接的な悲恋の詩だった。わたしはこの詩人の詩集をテヘランのとある本屋で見つけ、思い出にと日本へ持ち帰った。

درکنج دلم عشق کسی خانه ندارد    کس جای در این خانهء ویرانه ندارد
دل را بکف هر که نهم باز پس آورد       کس تاب نگهداری دیوانه ندارد
我が心の隅に何者かの愛が住処を置くことなどない この荒れた家にその者の場所などないのだから
どれだけ心をその手に渡そうとも返ってくるのだ 誰もこの気狂いを匿うことなどできぬのだから

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 日本にいてもイランにいても、どんな宗教宗派の施設へ行っても、自分の信仰について考える。そしてSの言葉を反芻する。わたし自身は迷いはないのだろうか。何か一つを、あるいは全てを信じていると言えるのだろうか。

 ここには書ききれないような数多くの思い出がある。エスファハーン以外の街でも、秋にも冬にも。彼の声が好きだった。ぶっきらぼうで一見冷たく感じる物言いをするけれど、愛の詩を好み、歩きながら歌を口ずさむことまであった。彼が言ったいくつかの言葉は今も頭に焼き付いている。最後に言葉を交わしたときに「俺のことがもう嫌になったんだろう」と言わせてしまった。どうして辛い思い出にしてしまったのだろうと何度も考えた。そのたびに自分を責めもした。それでもどうか、彼にはもう迷いがなくなっているといいなと思う。家族と同じじゃなくてもいい、自分で決めたものを信じる力を今なら持っていてほしいと祈っている。