Mordad 1403

 イラン暦1403年モルダード月9日

 

家庭でしか通用しない言葉ってないでしょうか。ペットの呼び名だったり。最近わが家ではタオルケットのことを蓑と呼んでいて、それは夫がタオルケットにきっちり包まれて寝る姿が蓑虫みたいだから。そっちの蓑に入れてよと言っては毎夜断られています。空気が夏休みの匂いを帯びてきて、子ども時代の家庭や家族に対する思い出が呼び起こされてはあたたかな気持ちになったり、あるいはぞっとしたり、そんな時期ではないでしょうか。

 

 

祝祭の後夜祭

石川で過ごした夫の誕生日だけど、やっぱり毎年のメロンのショートケーキは食べなきゃいけないよ、と話して予約した。

 

これも去年の誕生日と同じ店なのだが、この季節のとうもろこしのフリッタータがどうしても食べたくて。甘いとうもろこしの粒にふんわり卵、バルサミコの甘酸っぱさにチーズの塩気、なんて最高の組み合わせ。ほかにトスカーナの辛いパスタと言えばのカレッティエラなど。二種盛りのジェラートを一緒につつき合って食べるのはとてもデートという感じがした。

 

 

イタリア・ボローニャ国際絵本原画展

関連企画のイランの絵本イベントのDMをいただき、今年もこの時季になったかと思い出す絵本展。イラストレーターの出身地を見ながら、その国で使われることが多いカラーパターンがあるのだろうかと想像しながら鑑賞する。目に留まった韓国の二作がどちらもソリッドな色使いで格好良かった。本当に子供向けだろうかと思うような難解なイラストが入賞していることもあるし、反対に子供向けだからこそ動物の登場が多かったりもする。

ロシア正教会のような建物の集合のうえを飛んで駆ける猫や、下の写真の、愛の形をあらわす色々な動物のイラストが印象に残った。イランのイラストレーターも毎年のように入賞している。年々、あまりイラン色が強くないイラストが増えているのは、外国の出版社からの依頼で描いた作品が多いからのようだ。

ファティマ・オルディノラ『私たちの愛』/マフラーを巻いてポシェットを下げたハチワレ猫が二足歩行する装丁も美しい韓国の絵本

帰り道に見た良い景色

入賞していた中の一人、イランのヌーシーン・サーデギヤーンの作品展も観に行き、絵本二冊を買った。二冊ともイランの地方の民話をもとに作話されたものとのこと。読んでからまた感想を書きたい。左が彼女がイラストを描いている一冊。右は「ヘザール ヘザール ダーネ アナール」というリズムが楽しいタイトルで、直訳すると「千 千 柘榴の種」となるのだが、これに『ザクロのつぶつぶ』という邦題が付けられているところが素敵ではないですか。

 

 

ピクニックの集い・お食事編

早めに立てていたピクニック計画も、当日の猛暑に怯んでお茶からのお食事となった。みなさん、この猛暑ご安全にいきましょうね。この会のお二人も直近できのね堂の実店舗に行かれていたのを知り勝手にうれしく思っていて、この日も神保町で過ごせて楽しい時間だった。好きな食べ物や店の話から、人付き合いへのスタンスなどの話まで充実の会話でもあった。

ちょうど読んでいる本にレシピが出てきたババガヌーシュ、一時期作るのにはまっていたチャホフビリ、思いつくようで思いつかないリンゴのゴルゴンゾーラグリルなど、食べたものも全部おいしかったな。大好きなミントやハーブもたくさん使われていてわたしの夏が始まる、という気分で帰宅する。

 

 

神保町によく来る月

この日も神保町。今日のごはんどうする?と話して選んだお店は、久しぶりの海南鶏飯。海外からの観光客ふうのお客さんがたくさんいらっしゃった。こんな小さなお店に?と思うのだが、みなさんどうやってお店を見つけているのだろう。ライムやレモンが使われた甘さ控えめの炭酸の飲み物が好き。

海南鶏飯を選んだのはきのね堂に行きたいからでしょ、と夫に言われたのは大正解。この日のサンドクッキーはブルーベリークリーム。

 

 

そのほか食べたもの/作ったもの

・美松でおにぎり

ポテトサラダが食べられないわたしは夫の芋フライと交換してもらう。白米に鮭、雑穀米に葉とうがらし。

 

・地元のパン屋の好きなパン

朝一には焼けていないから、なかなか会えない細い月型の外側がかたいパン。プレーンとゴマ入りの両方を持ち帰って冷凍していた。

 

・自炊いろいろ

自家製フォカッチャとmagazzino38の能登豚のパテ、カポナータ

 

煮豚を作ったあまりで冷やし中華(この日は醤油だれ)、夏に大好きなビビンパ

 

あえものを二種。

 

あまりしないタイプの夕飯、ホッケをつつき合って食べる。

 

辛いタコのパスタ、氷室のちくわ(石川県の風習というやつ)とささみととうもろこしの中華炒め。

 

お弁当の日は夫にも家用に同じものを用意していく。海苔弁の日はうれしそう。

 

・甘いもの

MR. waffleのワッフルは外がガリっとしていておいしい。季節限定のレモン味。きのね堂のラムレーズンスコーン。パックされて売られている小さなスコーンとはまたちがったおいしさ。これもまた外がかたくて内側がほんの少しふわっとしている。

 

グラノーラとスコーンを焼く。作れるグラノーラは三種類。

 

伊勢丹のフランス展で買ったガレットとビスケットの缶。もちろん缶に一目惚れして手に取った。もしもぺっちゃんが中世に生きた高貴な猫だったら、こんな肖像画が描かれたのではないか、という妄想。

 

夏のレモン菓子が好きで久しぶりに通販したノーレーズンサンド。このときは二種とも柑橘で、ひとつはレモン、もうひとつは甘夏だった。

 

 

読んだもの

・金井真紀『テヘランのすてきな女たち』

マルジャン・サトラピペルセポリス 1』『ペルセポリス 2』

なんと言っても楽しみにしていた、『テヘランのすてきな女たち』。期待を超えた面白さだった。登場する色んなタイプの女性の、ひとりひとりの暮らしや人生が切り取られていて。テヘランの交通事情やピクニックの話が出てきたことにも感動してしまう。ヘジャーブをかぶらない少女とチャードルを着る少女の友情についての描写が特に印象深かった。

トークショーにも参加した。会場に着くとペルシア語界隈の友人たちにも会え、そこで広がるイランのあるある話がとてもきらきらして見えた。

イベント前にタカノで読書/本に合わせた色の服を着ていた

 

梨木香歩『家守綺譚』

先月の『樹木の教科書』に続いて、植物つながりで買っていた本。梨木香歩の作品を今まで読んでいなかったことを後悔する面白さだった。自分の先入観に勝手に裏切られる。現実世界と別世界がたびたび接続するような、あるいは、同じ時間軸で平行に存在しているような、明瞭ではないあの世の話が好きな自分が好むタイプの話だった。知らない植物の名前が出てくるたびに検索して画像を見るが、覚えていられるのはほんの一瞬でまたすぐに忘れてしまう。次にまた本で、あるいは外で、出くわしたときにほわほわした記憶を手繰り寄せればいい。

 

 

買ったもの

・やかんと小鉢

十年ほど使ったやかんに錆が付いてしまい、新しいのを探していて、ほぼ一日中やかんを検索していたような日もあった。選んだのはババグーリの銅のやかん。ぽってりした形と手作業で鍛金したという模様が気に入っている。これとは全然異なるけれど、イランにも銅細工の工芸があり、バーザールの店先で音を響かせて銅を叩く職人の姿が見られる。そんなことも思い出しながら選んだ。

清澄白河のババグーリのお店は、蔦に覆われた建物も、向かいに公園と図書館がある環境も良い。やかんの他に小鉢も探していて、ちょうど良いのがあったので同じ日に購入した。形は同じ(とは言ってもひとつひとつが微妙に異なるけれど)だが、別のうつわ作家がしているとのこと。左のベージュのほうが小西央、右の艶のある茶色のほうは郡司庸久。もともと同じシリーズの中鉢も持っていて、そちらは薄い青味がかった灰色で、郡司さんの作だったと思う。

やかんの包まれ方が躍動的。包装紙がひとつずつ微妙に異なる色をしていて、天然彩色なのかしらと思いながら畳んでいたらぺっちゃんも興味を示していた。

 

・夏のセール

Wales Bonnerの派手なパンツ、CAN PEP REYのタオルみたいな生地のTシャツ、丈の短いデニムジャケット。左の写真の格好でいつもの喫茶店へ行ったら、夏休みって感じねぇと声をかけられた。

 

・FRAMAのハンドクリーム

オレンジ色がかわいくてこれを選んだ。




定例ティー、この月は二回行けたのでもう一回はアイスティーを頼んだ。

 

 

だれかと話をした後に、そういう意図じゃなかった、別の言い方があった、話さなければ良かった、と後悔に苛まれがちなほうの人間。その一例を考えの整理を兼ねて挙げてみたい。

インターネットに投稿される写真のなかで、他人が写り込んだ写真が載せられているとなんだかもやっとする、あるいは家族や知人が亡くなったときに思いのたけを書き込むとか友人間の私信を載せるというのもあまり好ましくないと以前から考えていて、それはわたしがわたし自身へ抱く呪いのようなものだと思っている。自分がいつか死んだら、そのあとに自分の痕跡が何も残ってほしくないと考える、その考えが行きすぎた先にある、存在への呪いではないか。

そんなふうに思っていたけれど、あらためて考えてみると、それは完全なる他人に対して抱く嫌悪感であって、たとえインターネット上だとしても、友人と思っている人がそのような投稿を載せることにはあまり抵抗がないのかもしれないし、こちらの写真も撮っていただいていいですよ、それは親愛の気持ちが勝るから、とあのとき話した以降考えていた。

またこうやって長々と書いてしまう。最初に書いたような行動には、他者へのリスペクトが欠けているとか、他人を馬鹿にする意図が含まれているのではとこちらが勝手に想像しているだけで、やっている人は案外何も気にしないのかもしれない。自分も他人も、がんじがらめの思考で縛りつけてはいけないよ、と思う。

 

 

 

 

 

全部に疲れてしまって、ちょっともうダメかもしれないと泣きながら眠った日があった。こうして振り返ると定期的に楽しい予定はやってくるわけで、あまりめそめそせずに日々をこなしていけばいいのではないか。見えない人にもやさしくありたいと思う自分のことも愛してあげてください。遠い国のことを思い出す夏にしたい。

 

 

昨年のモルダード月の記録、われながら楽しそう。

meigukhnm.hatenablog.com