Azar 1401

 イラン暦1401年アーザル月15日

 

少しの間アメリカに行っていました。最後に行ったのは2017年だったから五年ぶりということになる。その間、あちらに住む夫の家族にもいろいろな変化があって、今年の春くらいから久しぶりに顔を見せにいきたいねぇという話をしていたのです。感謝祭ということもありこの時期になりました。

義祖父の家でのんびり過ごした後は、飛行機のトランジットも兼ねて一日だけロスアンゼルスにも寄ったりした。これはわたしのかねてよりの希望で、ロスアンゼルスにあるイラン人街を見てみたかったから。今イランへ行くのはちょっと簡単ではない状況なのもあり、自分としてはかなりリフレッシュになった気がする。

記録に残したいことがあれこれとあるので、いくつかのブログに分けて書こうと思う。ここでは簡単に向こうにいる間感じていたことを短く記すことにしたい。

 

義祖父が住むのはアリゾナ州のとある郊外の街で、家のすぐそばで地平線が見えるし、夕空も朝焼けも格別に美しいし、夜は数えきれない星が空から迫ってくるようだった。

誰かと接することはほとんどないし、こんなに広い土地だし、滞在中はかなり心が休まっていた。日々いかに(物理的にも心理的にも)せせこましく窮屈な思いをしているのだろうかと分かりやすく実感してしまった。ただ、土地が広いということはそれだけ色々な場所へのアクセスが容易ではなくなるということで、車がないと生活もままならないように思えた。もちろんインターネットを使った買い物や、訪問的なサービスもあるのだろうけど、余暇はどうするんだろうとか、日本の地方都市でも同じ問題があるよなぁとかそんなことを考えていた。両親や祖父母と会うたびに、自分の老後の始末のことばかりが気になってしまい、夫を強制的に巻き込んで議論している。

話が逸れてしまった。義祖父の生活は、文字通りの相互扶助を実行しているという感じで、お隣の方と一日何度も電話をしたり互いに訪問したりしているようだった。そのお隣の方もシニアなのだけど、感謝祭の日の食卓で隣に座った彼女の横顔や手に入った皺を眺めていると、イランのおばあちゃんを思い出した。夢にも出てきたと思う。新しく知り合った友人の歳が離れていると、お別れまでの期間が短いような気がしてさみしく思う。

 

いくぶんの買い物と外食に出かけたほかは、家にいて読書をしたり夫とのんびり喋っていることが多かった。特別に出かけたのは植物園でのピクニックと、オリーブ農園くらいだった。

あちこちに生えているサボテンをずっと見ていると気が違えそうな気がしてくる

植物園のトレイルコースはけっこう良い散歩になった。小石川植物園を広くした感じだろうか。圧倒的にサボテンとかの多肉植物が多いのだけど。わたしは散歩を愛しているわけですが、余暇にハイキングやピクニックに気軽に行ける人というか生活に憧れている。イランの人も本当に気軽にあちこちの公園でピクニックをする。日本だとどうも花見!登山!装備!と気合が入ったものになりがちに思う。そもそも東京はピクニックに適した公園が多くない。広い公園も人で埋まっているし。

 

インターネットでどこまでも容易に繋がる時代、街どころか世界中が均質なものになっていく気がする。人や道路や街並みや、スーパーに売っているものではなかなか異国を感じられなくなる。それでも土やそこに自生する植物からは、その土地のオリジナルな部分を知ることができるのではないか、みたいなことをカサカサの大地を見ながら考えていた。あまり読み進められなかったけど、イーフー・トゥアントポフィリア』を持って行ったのはわれながら良い選択だった。

 

カサカサの大地を見ながらLAへ移動

 

ロスアンゼルスはたしか十歳のときに家族旅行で一度来たきりで、ぼんやりとしたサンタモニカのビーチでの夕景が記憶にある。スケジュールや円安での滞在費の都合で寄り道は諦めようかと思っていたのだけど、イランにも行けてないしと思い切って強行した。サボテンの代わりに椰子の木があちこちに生えていた。

アリゾナからカリフォルニアの、しかも大都市への移動は、田舎に帰省して街に戻ってきた孫の気分を疑似体験したようだった。また窮屈な街へ来たのかと、空港から街中へ移動する車中で思った。子供の頃の記憶はほとんどないし、今のアメリカの状況もよく分かっていないのでこれが普通なのか異常な状況なのかは分からないけど、街中は衛生的とは言えないしホームレスの数も想像を遥かに超えていた。いや、異常でしょう。貧富の格差が凄まじいということは分かる。

ネオンのようなギラついた明かりではなく、ぼんやりとした明かりが好きで、Instagramで「夜の中の光」というタグを付けてたまに写真をアップしている。

 

到着した夜はいのいちばんにイラン食材屋へ向かった。それはまた別のブログで。あとは近くにあったErewhonにも寄った。ホテルは一泊寝るだけだったので特に思い入れもないけど、アメニティのIMPERIALのプロダクトが結構好きだった。

 

いざ来たイラン人街ことテヘランジェルスは、夫と「思ったよりテヘランじゃないね…」と言葉を交わした通り、数件のお店が並んだブロックがいくつかあるくらいで、活気という活気もなく拍子抜けしてしまった。もちろん食材や本を買えたことは何にも変え難くうれしかったし、ペルシア語の会話が耳に入ってくる時間も最高に幸せだった。これも状況が分からないけれど、何十年かの間に畳まれたお店はどれくらいあるのだろうか。感謝祭のホリデーに合わせて別の街から来た風情のイラン人家族を何組か見かけたのも微笑ましかった。あえて話すものでもなしとペルシア語はほぼ使わず買い物をしたのだけど、本屋の頑固そうな店主と、食材屋のレジ打ちのアフガン人の女性と少しだけ会話をした。

これは今年いちばん好きな写真の一枚になるでしょう

 

 

あたたかい土地って人間にすると陽気な感じなんだろうなと思って長年あまり好きになれずにいたのだけど、アリゾナとカリフォルニアの、からっと乾いていて爽やかにあたたかい十一月の気候は思いのほかとても気に入ってしまった。自分も丸くなったんだろうなぁ。高温多湿なリゾート地とかは相変わらず苦手なんだと思う。わたしは乾いた土地が大好き。

 

イラン&アルメニア食材店の様子、滞在中に食べた物、お土産などの話を別の記事で書こうと思います。クリスマスは家でのんびり料理をして過ごしたいと思っているし、夫婦の慰労会もあるし十二月のブログも長くなりそうだ。いつも読んでくれている方、どうもありがとうございます。ではまた。