Shahrivar 1400

 イラン暦1400年シャフリーヴァル月8日

 

英語で西暦の月を特定の名称で呼ぶように、イラン暦の月にもそれぞれ名前がある。西暦でおおよそ八月終わりから九月終わりにかけての月の名はシャフリーヴァルという。この期間に生まれたわたしは、イランで誕生日を尋ねられると「シャフリーヴァル月」と答えていたのだが、文法的には「I'm Shahrivar.」となり、わたし自身がシャフリーヴァルという月になってしまったようで可笑しいなといつも思っていた。そして、その答えがとても好きだった。

 

夏の終わりの祝祭

そんなわけで今年も誕生日の朝には、夫が「モバーラク、モバーラク」と歌ってくれた。以前ブログに書いたとおり、祝われる側はプレゼントも当日のプランも知らないので、呑気に過ごしていた。ホストたる夫の方が緊張していそうな様子だった。その全容は自分だけの宝物として、ほんの一部だけをここに書き留めておく。

朝、目を覚ますとベッドサイドにプレゼントがたくさん。これだけは知っていた、というのは先月のイランの絵本展で買ってくれたイランの切手。

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大好きなモルタデッラと生ハム、サラミに、我が家の定番のアラン・ミリアのグレープジュースで乾杯。

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ケーキは毎年同じものを用意してくれるのがうれしい。

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夜に、今日は何が楽しかった?と訊かれて、プレゼントも食事ももちろんうれしいけれど、わたしのためににこにこと笑って一日楽しそうにしていた様子に何よりも感動したんだよと伝えた。来年もこうやって背伸びせず二人で成長できたらいい。

 

食べたもの

・特別な日に爽やかなモクテル

七年前の八月の頭に、夫とはじめて二人で出かけた。行き先は大きな公園で、一日中散歩して、夜は池に浮かぶ鴨をずっと眺めていた。記念日なんてと思う歳になったけれど、この日を毎年わたしたちらしく祝っている。今年は平日だったから、仕事終わりに少しだけおしゃれして、インターネットの友人が教えてくれた素敵なバーでモクテルを飲んだ。夫が選んだ桃の一杯は、ふんわりとしたやさしい泡にみずみずしい桃の味がして、まさに夫自身を表しているようだった。

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きんつば中田屋のきんつば

実家からの支援物資。きんつばはここのしかありえないんですよ、と思っている。青えんどう豆で作られた「うぐいす」も大好き。夫は餡子を食べない人なので、一人で加賀棒茶を淹れて、毎日ちびちびと食べた。茶文化の名残りなのか、石川県(特に金沢市)は甘味の消費量が全国で見ても多いと言われるけれど、個人の実感としても甘いものが好きな人は多いと思う。洋菓子も和菓子も地元に気に入ったお店がいくつもあるし、祖母に会うととにかく甘いものを持たせられる。地元の食べ物が恋しい。夫には、食べ物の話になるとあなたは地元をことさら持ち上げるよね、なんて言われるけれど本当においしいんだもんなぁ。

 

・PiSOのしあわせチーズ

こちらも地元の甘味。金沢のモダンスパニッシュレストラン、レスピラシオンが手がけるチーズケーキ。たしか去年、感染症が広がる中でレストランのインスタグラムアカウントで販売が始まったような。ずっと食べてみたかったのだ。口当たりが本当に滑らかで、自然な甘さでおいしかった。

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・海津屋の氷見うどん

こちらも実家から。富山の親戚が送ってくれるのを毎年祖母からお裾分けしてもらっている。いつも食べているのは細麺で、細くつるっとしているのに歯応えがある。夏、素麺に飽きたころにありがたい存在。

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ティーハウスタカノの紅茶

先月ティーハウスタカノへ行った時に、ちょうど紅茶を切らしていたので買って帰ったもの。ラバーズリープを飲むのは初めてだった。爽やかでほんの少しだけマスカットのような香りを感じる。夏にぴったりだと思って選んだ。キームンはずっと好きな品種のひとつ。同じ中国茶のラプサンスーチョンが急に売れて品切れだということだった。あの井草を燻したような香りが?なぜ?と一瞬混乱したのだけど、わたしこそあの独特の香りを愛する愛飲者の一人であった。何かで取り上げられたりしたのだろうか。

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紅茶は渋みの少ないもの、スモーキーさを感じられるものが好きで、ストレートティーなら何でも飲むけれど、渋みの強いアッサムだけは避けてしまうかもしれない。通年で家で一番飲むのはアールグレイで(フレーバーティーではないかというツッコミはありつつ)、喫茶店でキームンやラプサンスーチョンを見つけると必ず選ぶ。寒くなってくるとディンブラやルフナ、和紅茶みたいな甘さの強めのものも飲む。コーヒーのサードウェーブが来たってわたしは動じず変わらず紅茶派だ。

 

買ったもの

・ヴィンテージのランプ

一度雑誌で見てから探していたランプが、予算の半分くらいの値段で売られているのを見つけたのですぐに買った。バンカーランプと呼ぶらしい。あの緑のバンカーランプではないけれど、こちらもアメリカの銀行などで使われていたのでは、という話を雑誌で読んだけれど詳細は分からず。ゴールド単色の見た目と、シェードの角度が変えられるところが気に入っている。壁に向けて灯りを照らすと、壁がぼんやりと明るくなるのが良い。

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・オーク材のステップスツール

背が低いので、これまでは椅子に乗ったりして高所の物を取ったり掃除していたのだけれど、いい加減踏み台を買わないとなぁと思っていた。木材で、しかも我が家の家具はオークで揃えているから出来ればオーク材で、という条件で探していたところにちょうど良いのをコンランショップで見つけた。

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新入りが現れると検品に余念がない

 

・CLARINS 

 先月のブログで触れた、パセリとカルダモンの香りがするオイルをやっぱり買ってしまった。イランのソウハーンというお菓子の匂いに似ているのがたまらなくて。夏場にはオイルは使わないけれど、これから寒くなって乾燥する季節に向けて。ところで、いわゆるデパコスといわれるブランドでスキンケア用品を買ったことがほとんどないけど(人にじっと顔を見つめられたり、触られたりするのに異常に緊張するのだ)、CLARINSは香りがやさしいしシンプルな雰囲気も嫌いじゃない。こうやって少しずつはまっていくものなのかなぁ。

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読んだもの/観たもの/聴いたもの

・『須賀敦子全集 第1巻』

 数ページ読んで、あぁわたしが書きたいと思うのはこんな文章なのだと、すぐに思った。人や景色や出来事を静かに見つめるまなざしが宿っている気がした。わたしは、もっと未熟な考えで、人に出会ったとき、景色を眺めて切ないと感じたとき、その印象を記憶しておきたくて文を書いたり写真を撮ったりする。

わたしが知っているイタリアは、夏のトスカーナの、しかもほんの一瞬の一部だけで、だから話を読んで懐かしいなんて思うことは厚かましい気がするけれど、それでもやっぱり懐かしいと思う部分もあった。それ以上に知らないイタリアがたくさん書かれていた。

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ジュンパ・ラヒリ『わたしのいるところ』

以前、彼女のエッセイ『べつの言葉で』を読んで、上の須賀敦子とはまたちがうけれど、ラヒリの文章もすごく好きだと思い、小説にも手をのばした。翻訳された文章に対して、文体が好きだと言うのは難しい。だけど、文を構成する単語の一つ一つや、須賀と同じ、ものを見つめる視点が好みだというのははっきりと言える。短いストーリーの集合で構成された小説に、一貫して存在する主人公の女性の神経質さが、自分を見ているようで共感を覚える一方、辛くもあった。

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この二冊を読んで、孤独について考えた。と言うと陳腐な言い方になってしまうけれど、私自身がずっと長い間考えているテーマだと今更ながら気づいたので少し書いてみたい。

須賀敦子の文章からは、孤独を知って、なお他人に向けるあたたかい視線を感じた。自分と他人は完全に異なる存在だと認識すること、その上で距離を保ちながら他人を見つめること。それは年齢的なものかもしれないし、最愛の人を亡くした経験を乗り越えた人にしか得られないものなのかもしれない。

翻ってジュンパ・ラヒリの作品では、自身にまとわりつく孤独そのものをじっと観察しているように思えた。孤独を理解し、受け入れ、選択さえしているのに、思考から解き放つことは出来ないといったような感覚。その感覚はかぎりなく冷たくて鋭利だ。

わたしはというと、自分は孤独だと感じ(それは錯覚だったかもしれない)、たった一人の誰かを、自分の不足を埋め合わせてくれる唯一無二な人を求めて長いこと苦しんでいた気がする。今、そんなふうに感じなくなったのは、伴侶を見つけ結婚したからとかいう理由ではなく、先に書いた「自分と他人は完全に異なる存在だ」と受け入れることが出来たからだと思う。だけど、まだあたたかい視点は持つには至れず、冷たい感覚で、近距離の自分の周りを見つめているところだと思う。今となっては、子どものころに孤独を埋めたいと思ってもがいたエネルギーを、別のことに費やしていたらと思うけど、その過程を経た自分自身の面白さを感じないでもない。

 

実はもう一冊イタリア関連の本を買っていたのだけど、読みきれなかったのでそちらはまた来月。あと面白そうな本を見つけたのでまた紹介できたらいいな。

 

 

・"Why Iranians Drink More Tea Than Most of Earth"

イランの紅茶文化の歴史を知るのにも良いんだけど、アニメーションとかのデザインも良かったのでぜひ見てみてほしい。余談だけど、ここでホストを務めているYara Elmjouieさんを前からフォローしてて、彼の話すペルシア語の音の流れがすごくきれいで憧れている。こんなふうに喋れたらなぁ。特訓あるのみですね。

youtu.be

 

 

・Haley Heynderickx "I Need to Start a Garden"

モクテルを飲んだバーで流れていて、思わずアーティストを訊ねた。切なげだけれど芯のある女性の歌声。ジャケットのひまわりを見て、地元にもあるひまわり畑を思い出した。素敵なバーで、良い音楽と知り合えて、夫とゆっくり静かに話せて幸せな時間だったな。

youtu.be

 

 

 

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本当にたいへんな状況になってしまっている。九月にずらした夏休みもどこにも行けないんだろうな。もう大きな出来事にいちいち反応して幻滅することにも疲れて、反応しないよう自衛してしまう。日々の小さな苦しみを取り除くことを選ぶ。「この状況がおさまったら」という言葉を何度交わしただろう。そんなとき、イタリアから一枚のポストカードが届いた。そこには、日本へ行く準備を進めているよ、と書かれていた。先の予定に支えられてなんとかやっていかなければならない。

 

どこかですれ違っているかもしれないあなたが、毎日を穏やかに過ごせますように。ボナノッテ。